山室新聞「やまぼうし」第63号

山室神社春の祭礼

 晴天にめぐまれましたが、まだ境内に残雪のある山室神社で4月10日、昨年から復活した「楽」の中、しめやかに春のご祭礼が執り行われました。

 ところで、毎年春祭りに飾られる幟(のぼり)は、今から約120年前に岡村為蔵さんが書いたものだそうです。為蔵さんは、天保14年に行田家に生まれ、希に見る能力を見込まれて、岡村家に入婿したとのことです。14歳の時に山室村の庄屋見習いを仰せつけられるほど、優秀な人であったようです。叔父で師匠でもある福昌寺住職の達円和尚の支えを得て、不穏な世相の中、鯖石川の氾濫、コロリ(コレラ)の流行などから懸命に村人を守ったとのことです。この見識と実行力が認められ、慶応3年に桑名藩柏崎陣屋から郡中取締役が申しつけられ、その年に一代苗字帯刀を許され、武士の扱いを受けることとなります。この頃から為蔵さんの激動期に於ける活躍が始まります。会津の戦後処理と復興・山梨裁判所の3級判事補・福岡県警の1等警部・大阪上等裁判所判事・千葉始審裁判所所長を歴任し、明治24年に、大審院(今の最高裁判所)の判事となりました。裁判官としての為蔵さんは、私欲無く、誠実を常として、権力に媚びることなく、悪に対しては常に厳しい姿勢で臨んだといわれています。明治36年、60歳で大審院判事の職を退いて郷里に戻り、大正4年に亡くなるまで子弟の指導に専念したそうです。山室に生まれ激動期に活躍した為蔵さんが、幼い頃から見たであろう山や川と同じ風景を見ながら今この地で自分達が暮らしていると思うと、何か心が熱くなりますね。
「柏崎の先人たち」より一部引用


幟(のぼり)
正六位岡村為蔵謹書と書かれています。もう一方の幟には、明治廿年(20年)三月と書かれています。


毎年飾られる幟。(我々が子供の頃には、二対あったようです。)

春祭りの定番です。
土垂れ汁・御神酒・茶碗酒・缶ビール

春祭りで最後まで神社に残った「もさ(猛者)?」達
この後、厄払いと称し厄年の人の家を「なまはげ」の如く回って厄払い??をします。


国道252号路面補修工事完了

国道252号の山室入口バス停から、山室中央のバス停までの間の路面補修工事が完了しました。大型車の通行時の振動の問題で、早々に対応をしていただきました。関係者の方々にお礼申し上げます。尚、昨年の補修工事と合わせ、山室地区ほぼ全線の路面修復が完了したことになります。引き続き、法面の補強工事が開始されます。これにより工事区間の歩道が通行禁止となりますので、ご注意をいただくと共に、ご協力をお願いいたします。


国道の路面修復工事完了